ピアニストとしてのラフマニノフ(録音)
ロシア人ならびにロマン派の伝統の中の長い歴史上で、ラフマニノフはピアノ・レパートリーの非常に優れた解釈者であった。レコードとして残された演奏は多くはないが、全てに価値がある。なかでも最も重要なのは、彼自身の4曲の協奏曲の演奏である。
ラフマニノフは1910年代に、エジソンレコード社の「ダイヤモンド・ディスク」レコードに最初に録音を行った。彼は自分自身を偉大なピアニストとは見なさず、自分の演奏の質が変化すると考えていた。そのため、自分が承認した演奏の録音だけが販売されることを頼んだ。ところが、おそらく単純な不注意のため、エジソンレコードは、未承認の録音を販売してしまい(当時は複数のマスターからレコードを大量生産することが容易だった)、怒ったラフマニノフはエジソンレコードを去って、以後はビクタートーキングマシン社(後にRCAビクター社)と契約を結んだ。
RCAからCDで発売された「ラフマニノフ全集」(10枚組、国内発売1992年・再発売1997年)は、エジソン社とRCAに残された総てのラフマニノフの演奏による音源を復刻したもので、4曲の協奏曲、交響曲第3番、交響詩「死の島」、多くのピアノ作品、歌曲を含む。クライスラーとの共演によるグリーグのヴァイオリンソナタ第3番などの室内楽曲の録音、自作以外のピアノ作品の演奏も含まれている。これらの幾つかは、ナクソスその他のレーベルでも復刻されている。
アコースティック録音以外にも、ピアノロールにも演奏の記録が残されている。最初は1本の穿孔された紙で正確な演奏を再現できることが信じられなかったが、1919年にアムピコ社の最初の録音のマスターロールを聞いて、
「みなさま、私(セルゲイ・ラフマニノフ)は、たった今、私自身が演奏するのを聞きました!」。
と言ったと伝えられる。 アムピコのための録音は、1929年頃まで続いた。
余談だが、ラフマニノフはピアニストのなかでも巨大な手の持ち主で、12度の音程を左手で押さえることができたと言われている(小指でドの音を押しながら、親指で1オクターブ半上のソの音を鳴らすことができた)。また指の関節も異常なほど柔軟であり、右手の人指し指、中指、薬指でドミソを押さえ、小指で1オクターブ上のドを押さえ、さらに余った親指をその下に潜らせてミの音を鳴らせたという。この恵まれた手は、マルファン症候群という疾患によるという説もある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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