2009年6月28日日曜日

ラフマニノフの録音

ラフマニノフが演奏活動を行ったのはすでに録音技術が実用化されていた時期のことで、現在でも録音によってその演奏に接することができる。

彼はまず1910年代にエジソンレコード社の「ダイヤモンド・ディスク」レコードと契約し、録音を行った。彼は自分が承認した演奏の録音だけが販売されることを望んだが、おそらく単純な不注意のためエジソンレコードは未承認の録音を販売してしまい、ラフマニノフの怒りを買った。これを機に彼はエジソンレコードを去り、以後はビクタートーキングマシン社(後のRCAビクター社)と契約を結び、多くのレコードを生み出した。

RCAからCDで発売された「ラフマニノフ全集」(10枚組、日本盤発売1992年・再発売1997年)は、エジソン社とRCAに残された総てのラフマニノフの演奏による音源を復刻したもので、4曲の協奏曲、交響曲第3番、交響詩「死の島」、多くのピアノ作品、歌曲を含む。フリッツ・クライスラーとの共演によるグリーグのヴァイオリンソナタ第3番などの室内楽曲の録音、自作以外のピアノ作品の演奏も含まれている。これらの幾つかは、ナクソスその他のレーベルでも復刻されている。

これらアコースティック録音のほかに、ピアノロールにも演奏の記録が残されている。はじめは1本の穿孔された紙で正確な演奏を再現できることが信じられなかったラフマニノフだが、1919年にアムピコ社の最初の録音のマスターロールを聞いて、「みなさま、私はたった今、私自身が演奏するのを聞きました!」と述べたと伝えられる。アムピコのための録音は、1929年頃まで続いた。

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